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イケダハヤトさんのミニマリスト論に納得

ミニマリストを卒業された、元ミニマリストのイケダハヤトさんの記事を読みました。

 

www.ikedahayato.com

高知に来てから物欲が出てきました。

竹を細かくして土壌改良剤を作る機械が欲しいし、仕事小屋が欲しいし、太陽光パネルが欲しいし、日本酒用の冷蔵庫が欲しいし、どぶろく揃えたいし、一眼レフほしいし…。

 

 高知に移住したイケダハヤトさんは、移住してから物欲が増えたそうです。確かに、広い土地が安く手に入り、お金がかかる娯楽が少ない地域では、物欲が高まりやすいと思います。

都会に住んでいると、物を所有しないで楽しめる娯楽がたくさんあります。そしてこれらの娯楽にはお金がたくさんかかります。そのため、娯楽のための資金を得るために毎日忙しく働くわけです。

私は都会に住んでいますが、“財布に穴が開いているんじゃないか”というくらいのスピードでお金が減ってゆきます。そして、消費額に対応した収入を仕事して得るわけですが、正直しんどいです。

 

モノを共有する

 

ぼくの予想では、ミニマリストの一部は地方に移り住み、「共有するためにモノを所有する」ようになると見ています。というか、ぼくがそうなので。共有する前提なら、モノや土地を持つのは楽しいことですよ。 

 「共有する前提」というのは、モノを所有することとモノをレンタルすることのちょうど中間に位置する考え方で、興味深いです。モノを一人で占有する場合よりも、モノを共有したほうが、そのモノの稼働率は上がります。都会でも、カーシェアやシェアハウスなど、モノを共有するサービスがありますね。

都会にいると欲望が去勢される

 

都会を出て感じるのは、都会にいると「欲望が去勢される」んです。都会の場合、欲望を持とうと思うと、お金が必要ですからね。そのために働くのは馬鹿げているわけで、自然と欲望も去勢されていきます。

高知に来てから、ぼくは抑圧されていた欲望が爆発した感じがします。人を雇いたいし、山はほしいし、温泉も掘りたいし。やりたいことだらけで仕方がありません。

ミニマリストが出てきたのは、「単純に都会の家が狭いから」だと思うんですよね。なんかミニマリスト諸氏から怒られそうですが。

大して使わない物を大量に所有することを避け、自分が生活するのにちょうどよい物を厳選して所有するというのがミニマリスですが、「自分にとってちょうどよい」という感覚が何に基づいて生まれるのか、イケダハヤトさんはうまく表現しています。

私たちはいろいろな制約のもとで生活をしています。

たとえば“お金”。所有しているお金以上の消費はできませんから、無意識に、「(自分にとって)極端に高額な商品は買わない」という制約が生まれます。

また、たとえば“家”。自分の家に収納できるもの以上の物は買えませんし、狭い部屋ならばできることも限られます。

さらに、たとえば“時間”。都会で生活するためには、賃労働に費やす時間とその疲れから回復するための休息時間が長く必要になります。このため、仕事以外に長い時間がかかることに積極的に取り組むことが難しくなります。

 

いろいろな制約条件の下で、「都会で快適に暮らすための最適解」の一つとして現れたのが「ミニマリスト」という生き方なのでしょう。

イケダハヤトさんがミニマリストから卒業したというのは、上記の制約条件が変化した結果で、とても自然なことだと思います。

ルールが変われば最適解は変わります。