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純金融資産一億円って意外と大したことないと思った件

富裕層というのは純金融資産が一億円を超える人々をまとめて指す言葉です。富裕層には豪遊のイメージもありますが、富裕層のなかには極めてケチに見える人々もいます。

資産一億円の大台に乗ると、桁が変わった効果として何だかお金持ちになった気がするかもしれません。しかしながら、純金融資産一億円というのは、何をするにしても非常に微妙な金額です。

たとえば一億円をすべて現金で保有していた場合、労働することなくこの一億円だけで生活できる金額ではありません。サラリーマンの平均的な生涯賃金が二億五千万円ですから、貯金が一億円あっても平均以下の生活しかできません。

ところで、純金融資産が一億円を超えると、労働とは異なる収益の道が開けます。この道は、富裕層(一億円~)から超富裕層(五億円~)までほぼ共通のものです。つまり、金が金を生むとか、お金に働かせる、などと言われているアレです。たとえば、一億円をすべて株式で保有していた場合、上手くいけば5%程度の利回りになります。この場合、一億円から得られる一年あたりの収益は五百万円程度です。サラリーマンの平均年収と比較しても決して多いとは言えない金額です。

このように、純金融資産一億円というのは、労働者層と富裕層の境目です。言い換えれば、純金融資産一億円は、賃労働せずに一人で生活することができる最低ラインを満たしているに過ぎません。ですから、一億円あったとしても、ちょっとしたことで転落しうるのです。(ここで言う「転落」は、無一文になったり借金を抱えたりするという意味ではなく、「賃労働をする必要性がないという状態から外れてしまう」ことです。)

 ところで、資本主義において金を稼ぐ理由は、「生きるため(衣・食・住)」に加えて、「お金から解放されるため」でもあります。後者は、難しく言えば「生産手段を保有するため」です。賃金を遊興に浪費するのはまぁ自由ではありますが、資本主義である以上、成功していわゆる富裕層になるためには、資本と生産手段をどうにかして手に入れる必要があるのです。

資本主義では、資本を投下して生産手段を買い、その収益をさらに資本として投下することで雪だるま式に資本(お金)を増やすことが認められています。資本主義がこのようなルールである以上、富裕層に入ったばかりの人々は、労働者層の最上層で満足している人々よりも遊興にお金を投じる余裕がありません。

桁の関係で一億円というのが目安として意識されますが、純金融資産が一億円というのは、労働者層と富裕層の境界であって非常に不安定なポジションです。自分の頭上で数十億円~数千億円の単位で戦っているプレイヤーがいる中で”たった”一億円で生き延びることを想像すると、むしろ自分のちっぽけさを感じます。

結論として、金融資産が一億円あっても別に豪遊できるわけでもなく、全然大したことない通過点に過ぎないと思うわけです。